時代劇役者・カウボーイ役者

こういうデザイン懐かしい



 先日、ビデオで『出逢い』(1979)ってアメリカ映画を観てたんですね。
 監督がシドニー・ポラック。あ、そういえばちょうど亡くなられて1年ぐらいだ(そのときの日記→こちら)。
 主演がロバート・レッドフォード、そしてジェーン・フォンダ
 落ちぶれたロデオ・チャンピオンの映画なんですよ。現代西部劇というか、カウボーイの映画。これが儲けもの、すっごく良かったんですね。レッドフォードの今様カウボーイ、これが見事でね……って、話は急に時代劇に飛ぶ。


クリント・イーストウッドの嘆き


 最近、とあるベテランの歌舞伎俳優の方が仰ってたこと。
「時代劇をやる役者がいなくなった。もうテレビの時代劇は見る気もしない」
 この言葉が、映画を見終わってフッと脳裏に。
 うーん……ひょっとしてアメリカでも、
「ダメだねぇ……カウボーイをやる役者がいなくなった。もう西部劇なんて見る気もしない」
 なーんて、あちらの“うるさがた”がこぼしているんじゃなかろうか。
 そんな話を友人の編集者にしていたら、
「それ、もうクリント・イーストウッドが言ってたよ。『許されざる者』の後かな。西部劇はもう作らない、馬に乗れる役者がいな過ぎるって」
 おお、なんと。イーストウッドがいってるのは「乗れる・乗れない」という簡単なことじゃなくて、「カウボーイとして乗れるかどうか」(このひとことだけで意味が分かった方は勘のいい方です)ってことなんでしょうけどね。


○世界のうるさがたから


 と、ここで広がる妄想。他の国々でも、同じようなこと言われてんでしょうか。
 やっぱイタリアとかだと、
「ダメだねぇ最近の若いのは。カエサルアントニウスが出来る役者がいないよ。ネロやらせたい悪役顔の役者なんてひとりもいない」
 なーんてミラノ・スカラ座の桟敷かなんかでバアサン同士で呟いてて頂きたい。アリダ・ヴァリみたいなキツい顔した方のボヤキを、ジュリエッタ・マシーナっぽい優しそうなバアサンが黙ってうなづき聞いている。そんな絵がほしいところ。
 フランスならあれですね、
「ミラ・ジョヴォビッチのジャンヌ・ダルクなんて見れたもんじゃない。お告げ受けるもんかねあんな女。ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』なんて昔なら火あぶりものだよ」
 勝手なイメージですが、フランスって口の悪いオバサン多そう。なつかしのクレッソン元首相あたりにガンガン毒舌かまして頂きたい。



○クレッソン元首相。在任中は「日本人は黄色いアリ」「イギリス男はゲイ」など数々の至言を残す。



 うーん……でもな。日本人の体型の欧米化、そして着物を含めた生活文化のドラスティックな変貌って、ヨーロッパとは話が違うもんなあ。
 じゃあ中・韓は、どうなんだろう。「チマチョゴリが似合う女優がいない」だのだの、うるさがたは嘆いているのだろうか。そのへんのところ、ちょっと興味が湧いてきた。
 詳しい方いらしたら、どうぞ教えて下さい。





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