『火の鳥』の女たち (市川崑 1978)
最近、ボケが進行している。
ひどいなんてもんじゃない。
先日なぞ、「週刊文春」の椎名誠さんのエッセイ「風まかせ赤テント」を、小林信彦さんの「本音を申せば」だと信じ切って読み通してしまったのだ!
どうしてそう思い込んでしまったのか……自分でも分からない。「小林さんのコラムを読もう」と思い立ってパッと開き、そのまま一行目を目で追った。
「(読むうちに)あらまあ……小林さん随分、今回空想に遊ぶというか……こんな冗談ばっかり書く人だっけ……新境地っていうか……あのお年で大胆なチェンジ……」
週刊誌見開きぐらいの文量だと一気読みしてしまうので、「?」と思っても引き返さないのである。
「小林さんがワンテーマでワンコラムを書ききった、更にめずらしい!」
タイトルをみれば。
「あ、違う人だったの、ね……」
しばらく恥ずかしくて、ひとり黙ってしまった。
さて、更新を怠けておりました。今日は先日シネマヴェーラで観た、市川崑監督の未ソフト化作品の印象メモ。昭和53年の『火の鳥』です。
いうまでもなく手塚治虫の漫画『火の鳥』の映画化。
これ、市川崑が原作に「ベタ惚れ!」という映画なんですね。もう1コマ1コマ記憶するぐらい読み込んでるんだなあ、愛しているんだなあ、そーいう「熱」が映画からビンビン伝わってきます。ただ、その愛が観客のほうにストライクしなかった……という映画。
それは、いーんです。そこをまず理解してから観れば、違う楽しみ方も出来ようというもの。以前にも書きましたが、キャスティングが……凄い。
○三枝子 as 卑弥呼
私がまず度肝を抜かれたのが、邪馬台国の女王・卑弥呼を演じる高峰三枝子。
のっけから、ひとり部屋で美容体操するシーンがあるんですよ。するといきなり、軽々という感じで180度開脚をしちゃうのだ! シューッと足が左右に開いて、フーッと体が前に倒れて、ペタッ。山東昭子が「フルムーン」のCMで「豊胸手術じゃないか?」とイチャモンつけたあの胸が見事に着地。お三枝さん突然の「またわり」に出羽海親方も真っ青。
これ、原作に同様のシーンがあったとしたら軽いギャグなんだと思う。しかし実写であの高峰三枝子がやると、これがまあ異様な効果を上げていた。
まがまがしく、いい意味で、おぞましい。卑弥呼という摩訶不思議な存在をとっても効果的に印象づけていた。
なんたって撮影当時、高峰三枝子は60歳だったのだ。今の時代で「60歳」という言葉が持つ響きと、30年前のそれは全ッ然違う。「余生」という窮屈そうなスペースに追いやられだす年齢が60歳(=還暦)だったのだ。腰が曲がり始める人だっていたはず。それをものともしない筋力と柔軟性の誇示。
高峰三枝子というひとは、市川監督に随分いろいろ引き出されている女優だ。
(写真は『犬神家の一族』より)
○ボーダレス、エイジレス、ジェンダレス!
そして畳み掛けるように卑弥呼の女官たちがやってくる。
それがピーター、カルーセル麻紀、そして木原光知子(!)という面々。ボーダレス……エイジレス……ジェンダレス! すごいのレス!
「卑弥呼さまも大変ねえ……私たち、若いからわかんなーい」
みたいなベタなセリフを言わされてます。しかし……ここであえて「そろえず」、木原光知子というキャスティングが……にくいねえ、粋だねえ。そしてまた、このオファーに乗っちゃうところ、光知子ってば懐が深いじゃないか。急逝が惜しまれますね。脱線ついでに書いておきますが、この映画にはあの「沖雅也」もご出演されているのですよ。まだ涅槃で待ってらっしゃるでしょうか……。
○なつかしの「極悪同盟」を想起させるお方
さらに女官長みたいな役で草笛光子。
このメイクが……凄い。最盛期の『極悪同盟』を思い出させる濃厚なアイシャドウ。
<参考資料「極悪同盟」>
あ、あっちが後か。まさかこの光子がヒントに……。
草笛さん、その後いくさの混乱に乗じて卑弥呼の金印を奪おうとします。金印って昔教科書に出てきましたね。
<参考資料その2>
「何するのッ! この国の女王は私よ!」
お三枝さん猛然と立ち向い、あろうことか金印で草笛さんのおでこを強打。即死です。なんと額にはクッキリと「邪馬台国」の文字が! ここでは笑いをこらえるのに苦労しました。当然のように会場内はシーン。日本人はなんて上品な民族でしょう。同好の士、いえ、同病の方と相憐れみながら爆笑したいところでした。
○そのほかの出演女優たち
このへんは印象メモをザッと。
「大原麗子」
あらためて、いい声だなあ……とシミジミ認識。四方田犬彦氏は『卍』を評した際、「日本女優で、最も声の魅力的なふたりの共演」と仰ったらしいが、私はこれに倍賞千恵子、そして大原麗子を加えて四絶としたい。
「風吹ジュン」
なんていい目をしてるんだろう。すごいなあ。テレビドラマ『阿修羅のごとく』でも惚れ惚れしたが、小悪魔という形容詞が自然思い浮かぶ。こんな人が腕の中に飛び込んできて、抗える男ってのはいるもんだろうか。ゲーリー・クーパーみたいな人じゃないと無理だと思う(ヘップバーンとの映画『昼下がりの情事』のイメージ)。しかしですね彼女、少年役なんです。「死ぬまでそれが周囲にバレない」という設定には……うん、唖然として、笑ってしまった。こーいうときは宝塚のように「バレバレ」を押し出したほうがいい。
「由美かおる」
本当にあまり印象が変わってなくて、すごいなあ……ある意味、卑弥呼だ。西野バレエ団出身らしく、踊るシーン有り。「なんという名手」と絶賛されるんだが、振り付けが余りにも幼稚で全然そう思えない。パーカッションだけを活かした躍動的な振りで、ちょっとした見せ場を作ってほしかった。いっそのことアニメ従えて踊ればよかったのに。そういうことをして変じゃないキャラクターの持ち主だと思う。
○男たち
草刈正雄、林隆三、田中健、仲代達矢といった、えっらく彫りの深い人たちが多用されてるんですね。中野翠さんの表現を借りると、「名誉白人度」の高い人たち。市川監督って、日本黎明の男性像こーいうイメージをお持ちなのか。草刈が堂々とした演技で、今の阿部寛みたいな存在感。美丈夫、という古い表現が脳裏に。
これが映画デビューの尾美としのり(当時はトシノリ、13歳)が、結構な巧演。ただ一箇所、相手のアクションより早く反応するシーンがあり、それをどーしても許せない自分の小ささを恥じる。
あと不思議だったのが、原作のセリフってけっこう「舞台調」なんですね。
「あれ、おかしいぞ? 火が消えてる!」
「うわあ、あれはなんだー。敵だあ!」
こういうの、映画だと
「見りゃわかるっつーの」
「ひとりごとの多い人だね……」
と、けっこう心にひっかかる。でも確かに漫画のフキダシってそうなんですね。そこまで含めて手塚原作を変えたくなかったのか市川先生……そこが疑問。これに関しては森遊机さんの『市川崑の映画たち』(ワイズ出版)にも書かれていない。
しかしまあ叙事詩ってのは、映像化が難しいもんですね。ショージキ、フルで「137分」を映画館でぜひ……とはお薦めしにくい映画なんですが、瞼の裏に残る三枝子の様々な表情がこの文章を私に書かせました。もはや松子は佐兵衛。
ありがとうございました。
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