押尾学の「数珠」に思う

懲役1年6ヶ月執行猶予5年



 無茶なこととは承知の上。
これから書くことは、とても不謹慎で、勝手な私の……願望というか、フザけた「提案」のようなものだ。うまく書けるか分からないけれど、トライしてみたい。

■■■■■■■■■■■■■■■

 押尾学……やーーーーーーーーーーっぱり、「ハンパ」だなあ。「セコい」なあ。
 判決を受けるその日、マンションから出てくる映像がテレビで流されていた。それを見た瞬間、まずその「おやつれぶり」に私は驚いた。 
 髪は白髪(『週刊文春』によれば元々若白髪で、「最近は染める金にも困っている模様」という、いささか余計なお世話の記事が)になり、ヘアセットはオシャレな意味ではなく無造作で、生え際の後退感が強くなっている。そして、衣装はカッチリとしたスーツ。のちの報道によれば腕には数珠をしていたという。


押尾学と「数珠」


 数珠……これって耐震偽装問題の「元ヒューザー社長・小嶋進」が態度を一転、反省の念を表わさんとしたときにも着用してましたね。変に世代を超えて人気なのか数珠。
 でもそれってさぁ……本当に自分の心の中から顕れた「アイテム」なのか!? ああもう……シャラくさいとしかいいようがない。数々の名・妄言とアウトローな行為で芸能界に示してきた「押尾っぷり」と「数珠」は相反するどころか、核分裂を起こしそうなまでに相容れないもんじゃないだろうか。
 「そりゃそうでしょうよ」「それが普通でしょうよ、当たり前だよ」と仰られるのは百も承知ですけどね、「心証」という言葉が脳裏に浮かんでしまって仕方がない。
 いやしくも芸能人ならば、「これが私の正装です」というスタイルぐらい貫けないもんだろうか!? 人からどう思われようと、「押尾学はこのファッションでこそ押尾学なんです」ぐらいの気概がもてないもんだろうか。
 「えええそこかよ!」
 そう思われるでしょうね。はい、暴論です。亡くなった女の人は不運としかいいようがない。同情もできないけれど、救急搬送を怠り関与を隠蔽しようとした押尾被告の行為は許されるものではない。
 けれど私は……マンションから出てくる「フォーマル・押尾学」を見たとき、
「そんなに簡単に自分イズム捨てんじゃねえよ、芸能人がっ!」
 と、咄嗟に思ってしまったんだなあ。
 芸能人って「私が私であること」「私が私を好きな度合い」の大きさが「いのち」だと思っている。そこを異形なまでに追及する人々であらねばならない、と私は思っているのだ。
 結果的に社会的なアウトローになろうが、半道徳的(インモラルではなく、アモラルと呼んでほしい)になろうが、そこを曲げない強さと自己中心性を追求し尽くしてこそ、「芸能人」だと思う。そういう一般人じゃ絶対に出来ない「損得の読めなさ加減」があればこそのハイリターンなのだ。


○もしも私なら……という不謹慎な想像


 さらに不謹慎な話だが、なぜか「もし自分があの状況の押尾だったら……」なんてことまで考えてしまった。あんな状況だったら、そして私が芸能人だったら……「破滅願望」に取り憑かれてしまうかもしれないな、と。最後に一発、芸能人として「男の花道」を演じてしまうかもしれないな、と。
 法廷に向こうときは「おおこれこそザッツ押尾」みたいな格好を突き通す。サングラスにスリムなシルバーのスーツ、またはレザー系のアイテムとかシルバーのアクセをガンガン身にまとって出廷。ただ陳述だけは正直に、誠意を持って行う。
 そう、「来たらすぐいる?」というメール(この内容を検察側はドラッグと判断。押尾は「すぐセックスをやる?」という意味として否定)も「ドラッグのことです」とキッチリ認め、「彼女の死は自分の責任」と明言。「そんな非常識な格好で!」という非難の嵐の中、「これが押尾学の『常識』なんです!」と一発啖呵ね。
「でもドラッグはしてはいけないことでした。そして女の子には謝っても謝りきれない。家族にも迷惑をかけた。その罪は購います」
 このぐらいの自己演出、芸能人ならやってみたらどーーーなんだ!? 

 押尾学の「数珠」には
「はい、ワタクシ目下猛反省中です」
「今回の件はなんとか最小限のリスクで乗り切らん」
「いつかはショーケンのように」
 そういう気持ちが見え隠れする。そういうことを示唆する「バック」が見え隠れする。
 そこが、堪らなく、いやらしい。


こちらもよろしく・ごはんブログ→「白央篤司の独酌日記


つぶやいてますよ、けっこう。
twitterやってます https://twitter.com/hakuo416


○お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815


○ご意見などはこちらまで→hakuoatsushi@gmail.com