ジル・ロマンへの感動と、あるダンサーの清々しい言葉

『Le coeur et le courage』



 踊りが、「言葉」として納得できることなど、そうはない。
 よく、ダンサーや俳優が自己の芸術論なんか語っていますね。でも、その人達の作品を見ると
「あの……ご立派なことおっしゃってますが……それ、舞台で出来てんですかホントに!?」
なーんて疑問を持たずにはおれないことが多い。
 けれども、その数少ない例外が本作にあった。
このドキュメントで初めて知りましたが……ジル・ロマンというダンサー、素ッ晴らしいんですね。冒頭の彼の踊りに、ひきこまれた。なんだか、ボーッとしてしまった。
 立っているだけで「踊り」になる、というものとの久々の出逢い。ああ……舞台で観たいなあ!


 私は一切プレスやらチラシを読まずに試写を観るんですが(あらすじさえも読まない)、終ってから知りましたが、バレエ界の権威なんですね、やっぱり。知ってる人からしたら「何をいまさら」ってもんでしょうが……いやはや、それでも書きたくなってしまう。すごいんだね、ジル・ロマンって人は。
 マーラー交響曲5番をバックに踊る『アダージェット』という作品。そのクライマックスなのかな、7、8回転はしたと思うピルエットから続く踊りのシーンが中盤に。
 ここに、彼の言葉が重なるんですね。メモしてないので、私の心の中に残ったセリフを書いてしまいますが、
「(踊っているときは)音楽に、音に、海に、溶け込んでいくような感じ」
 そう、彼は語っている。本当に、本当にそんな感じのダンスだった。ピルエットでクルクルと回る彼を見ていて、まるで「木の葉」を見ているように思った。一切の不自然さがなく、この世の重力とか風とか、そういうものに肉体が完全に委ねられている。その情景と、彼の言葉が一体となって、私を感動が襲った。
 インスピレーションを鍛錬と技術によって「形(振付)」にしたものが、踊り手の集中力と表現力の最たるところで、また原点であるところの感覚的なものに戻っていく……。抽象的な言い方しかできないが、そんな踊りだった。


 映画の軸は、モーリス・ベジャール亡き後のバレエ団の動向を追う、といったもの。偉大すぎる指導者の「穴」をどうするか。移籍を考えるダンサー、資金のこと、次の公演は? それぞれの関係者の証言が挿入される。今までの舞踊団の歴史をさらいつつ(ジョルジュ・ドンなど過去のダンサーのシーンも多い)、ジル・ロマンを振付師に据えて第一回公演を迎えるまでが描かれる。
 うーん……バレエ、それもベジャールファンならば喜べる内容なのかな。私はもっとジル・ロマンをたーーっぷりと観たかった。核として追ってほしかった。それだけでバレエ団の越し方、師を失った逡巡、そして行く末が描けたと思うんだけどなあ。
 と、門外漢が好き勝手書いてすみません。どうでもいいけど、『モーリス・ベジャール・バレエ団』ってホントは『ベジャール・バレエ・ローザンヌ』という名前なんですね。関係者は『BBL』と呼ぶのか。


○付記、というかこれがサブタイトルにかかる


 ある若いダンサーの言葉。
「踊ることは私の人生、舞台は私の家になっている」みたいなことを、実に清々しい表情でいったのが印象的。そう思わせてくれたのがBBLだ、と。何のてらいもなく、こういう言葉が素直に出てきたと感じられるあどけない美しさが、その表情にあった。感情があって言葉がある正しさ。「素敵なセリフをいいたい」という結果が先にある、清々しくない言葉が、世の中には多すぎる。

 C'est pour la dance que je vis, La scene est devene vraiment ma maison. 
 多分こういってたと思う。



 Gil Roman.


ベジャール、そしてバレエはつづく
12月19日公開 公式サイト→こちら



○BBL

日本人もひとりいらっしゃるんですね。大阪出身の「keisuke masuno」という人。映画ではエティン・ベシャールという人(日本語表記、ちょっと自信ないけど)というひとに存在感を感じた。

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