賞賛と怒り半ばする勘三郎の『京鹿子娘道成寺』


 まず「道行」、これが実に…………良かった!
 上手が上手に踊らない、という「うまさ」を分かって頂けるだろうか。伸びやかで、自然のリズムと体が溶け合っている。踊りに対して専心している、素敵な「道行」だった。
 15、6歳くらいの「娘」が匂ってくるよう。貝殻骨(肩甲骨のこと)が引けて、キュッと締まった胸、それでいて窮屈な感じのしない、理想的な日本舞踊の形。
 正直に書くけれど……踊りを見るうち、この娘の「乳」は、ハリのあるきれいな、丸い形をしているんだろうな――そんなことまで浮かび上がってきた。はい、気持ち悪いですねごめんなさい。しかし、私が女形の踊りを見て「肉感」を感じたのは初めてのことなのだ。ゆえに記しておきたい。
 踊りに対して観客全体が魅了されていたのは明らかで、劇場中が昂揚していた。しかし! それもつかのま……「問答」になって一転、歌舞伎座全体が一瞬にして興醒めするという、はじめての経験をしたのだった。



 ありえないぐらい、勘三郎の「調子」がやられている。
 声のことを「調子」と古典用語でいいますが、なんていうか……「声変わりのひどい中学生」のようであった。これは後日談になるけれど、私は結構このことが許せなくて、とある歌舞伎役者にその旨文句を言ったのだった。するとサラリと「元日飲み過ぎたんじゃないの?」と軽くいなされてしまった……。

 踊り自体は「乱拍子〜中啓」も上々。隅々まで気の入った踊りで、ベテランがこういう「神妙さ」を見せてくれるのは非常に嬉しいもの。しかし「手踊り」で一気に崩れる。
「鞠唄」になってしばらく、「張りと意気地の吉原」だったかな、明らかに振付の間(ま)をはずしてからというもの乱れっぱなしの狂いっぱなし。間はどんどんはずれ振りはぞんざいになり、これが先の、あの丁寧な「道行」を踊った勘三郎とは信じ難い出来。私は冗談じゃなく……「ラリって」いるような踊りに思えた。


恋の手習
 そしてまたここで別人のように丁寧な踊りに戻る。「ジキルとハイド道成寺」という新作舞踊のよう。
 中村芝翫に習ったとプログラムで語っているが……まさに「うつし」というような出来だ。時々、芝翫の影がダブるなんてもんじゃない。
 勘三郎が誠心誠意「芝翫の芸をうつし取ろう、うつし取ろう」とつとめているのは重々分かる。しかしそこに懸命になるあまり、顔まで似てくるというか……重なりすぎてしまう。ハッキリ書くと、いささか「物真似」めいてみえた「恋の手習い」だった。真似上手にありがちだが、「顔真似」までも無意識のうちにやってしまったように思える。
 中村芝翫なればこその、独得のパタパタッとした歩き方、手をブンブンするような動き、大きく揺らすような体の使い方を真面目に「とり」過ぎた。楽日までには多分、「いい塩梅」になることだろう。

(蛇足)
 みどころ、「うらみうらみてかこち泣き」のところ、芝翫の踊り方が私、好きなんですよ。他の多くは「うらみうらみて」のところでジワジワと感情を高ぶらせて怒りを表現していくが、芝翫はそこを一見無表情にサラッと踊り、最後の最後「泣き」で一挙に「ウワッ!」という感じで泣く。そのドラマティックなことといったらなかった。そういう感じと、現代演技的な踊りのいいところをミックスしているようで、今回の勘三郎の件の部分はとても良かったと思う。


鞨鼓
 のりちゃん、のりすぎ。
 そのひとことに尽きる鞨鼓でした。あんなに綺麗に体を「殺して」道行を踊ったひとが……なんたる有様だろうか。ハッキリ書かせてもらうが、手足の短い人が溺れているかのような、およそ美的感興からは程遠い「アクション」だった。もう「ダンス」とはいえない。

 分かっているはずなのに。
「体を大きくつかうこと」と「実際に大きく動くこと」は全然違う。そして「エキサイトすること」と「気が入る、踊りに『のる』こと」は全然違う。中村屋、悪いけど「暴れ牛」みたいだった。いっそのこのまま隈取せずに、赤い布をもった大館左馬五郎がやってきて「押し戻し」になるという新演出でもよかったんじゃないか。
「熱演」ほど、役者としてみっともないことはない。その情熱を、エネルギーの質量は変わらないまま、端正な踊りに昇華させるのが歌舞伎役者ではないのか。その情熱を、計算された体の線と動きで「みせる」のが、歌舞伎舞踊ではないのか。自分が「のった」ほどに、観客を「のせて」こそ歌舞伎なんじゃないのか。
「役者の踊り」という言葉に甘えすぎた「鞨鼓」であった。

 以後は特に感慨なし。市川団十郎の大館左馬五郎は素敵な「ごちそう」でした。

【源氏店】
 もう残りは駆け足で。人気狂言『与話情浮名横櫛』「見染」と「源氏店」。
 中村福助の出端(では)の華。そこはさすがだと思うが、ちょっと……「しどけなさすぎ」ではないだろうか。深川の元芸者という役だからいいのよ、といわれるでしょうが……ならばこそ、もっとすっきり粋に、ちょいと堅気を気取りたいところ。襟合わせも、いささかだらしなさ過ぎる。もう身請けされた身、ご新造らしくキチッとしめた襟元からも、どうしてもこぼれてしまう芸者の色気、ってのが本当だと思う。
 市川染五郎の与三郎。このひと、こういう白塗りの若旦那をやると、不思議と秀太郎さんみたいな丸味が漂いますね。存外、『女殺油地獄』の与兵衛なんて、このひとのものになるかもしれない。

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