『スタジオパークにて』・後編


 あれは夢か、まぼろしか。テレビ収録なんていう実に生臭い現場なんですけれども、今思い返して、やっぱりそんな気分になってしまう。はい、若尾文子その人の「拝観」メモ。お待たせしました。
 うーん……確かに目の前2メートルぐらいのところにいらしたのだけれど、やはり……あまり現実感ないですねえ。ボーッとしてて終っちゃった、というのがリアルな感想なんですが、そんなんじゃ読み物になりません。どうして若尾文子を見られたかという詳細については、昨日の日記を参照してね。

 私が女優論を語りだしたらキリがないので、強く感じたことだけを2つ。


 まず、VTR中の彼女の表情が、強く印象に残る。
 昔の映画が流されている。今、スタジオにいる彼女はテレビに映っていない。スクリーンの中の自分を見ている、その表情。
 テレビに映っている彼女は、ひたすらに端正だった。椅子に腰掛けて、アナウンサーの話を聞いているときの姿。私はなにか、古美術の名品を観るような気持ちになった。
 こう書くと、誤解を受けるかもしれない。「骨董」という古い、年寄りめいた悪いニュアンスを感じ取る人がいるかもしれない。
 そういうことではない。幾年月を経ても、古びない美、というものがある。様々な鑑賞者、使用者、所有者を経るうちに、その美を増していくものがある。まったく詳しくないけれど……茶道の世界の「お茶碗」とかって、そういうものなんじゃないだろうか。
 様々な人々に鑑賞され、その手に包まれ、愛される。それは多くの監督の手によって美と才を引き出され、そして多くの観客の目にさらされ、愛された、若尾文子その人の越し方に重なると思う。割れることも、欠けることもなく、美を永らえる名器のように、若尾文子は美しかった
 見惚れていた私は、「VTRをご覧下さい」というアナウンサーの言葉と共に、変化した若尾文子の顔に驚いた!
 それは、自らの美と芸を点検する……ある種「厳しい」顔だった。不思議だけれど、エンジニアのような表情だなあ、と咄嗟に思ってしまった。
「このひとは、自ら茶器であり、自ら陶工でもある―――」
 変な喩えだけれど、そんな思いが一瞬にしてよぎったんですね。
 自分が美しくあることと、そして美しく魅せること、同時にその二つをやってきた人なんだなあ。そう、感じ入った。自分を「点検」する厳しい、プロフェッショナルな雰囲気が、その「顔」には漂っていた。まるでスイッチの如く、「女優の顔」と「エンジニア」の顔が入れ替わる。ほんの一瞬だったけれど、そういう瞬間を垣間見れたと思う。

 収録が終って、最後に記念撮影があるんですね。これはシンプルな感想なんだけれど……長年、「笑顔」で商売してきた人間は違いますねえ。いやー、すごい。すごいんだわ。凄みのようなものまで思い知った。
 若尾文子が「ニコーッ」としたときに、空気が変わるんだもの。それこそガラッと変わる。これを目の前1メートルで見れたことは、収穫だった。フザけるわけじゃないけれど……「ああ、こういう『何か』を感じたひとが、少女漫画で主人公が登場するとき、バックに大量の花を描きだしたんだろうな」なーんて思いましたねえ。
「ニコーッ」
 ツッコまれること必至ですが……あのね、「枝垂れ桜」がパッと咲いたみたいだったんですよ。なぜ「枝垂れ桜」なのか自分でもよく分からないが、あたりの空気が春色に染まったようだったんだわ。ほんっとうなんだって。 
 ああ……結局ただ単に「長年の憧れに会えてよかったー!」というミーハーな文章になってしまったような……。とりとめもありませんが、若尾文子拝見記でした。


●舞台再演

森本薫の『華々しき一族』、若尾さん再演されるんですね。
4月7日〜11日、天王洲銀河劇場にて。
http://www.ints.co.jp/ichizoku/index.htm


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