舞台『じゃじゃ馬馴らし』のポスターより

 渋谷駅に貼ってある舞台『じゃじゃ馬馴らし』の前で思わず足を止めてしまった。いや、止められたというか、居すくめられたというか……。

 一番左の方、お分かりになりますか。歌舞伎の市川亀治郎。この舞台オール・メールでやるんだそうだが、この写真の亀治郎に不思議な感慨を覚えてしまった。なんなんだろうこの気持ちは。うまく整理できない。この表情から漂ってくる並々ならぬ非日常感、アンユージュアルな感じに、変に胸がざわめいてしまう。
 アップにしてみましょう。

 うーん……。
 私は最初、「趣味感」を感じて動揺してしまったんだと思う。この写真の女装は、「完成度」が私には低く思えてしまうんだ。
 世の中にはつかの間の変身願望を満たす、ストレス発散的な意味合いで女装する人々がいる。そういう「同好の士」が集まって女装を楽しむクラブもあるという。その手の場所に集うような人々の醸す「趣味の女装」的な香りが、この写真からは漂ってくる。
 ただファンデーションはたいて口紅ひいてカツラかぶって、サイズのあうブラウス着たら「あらみっちゃん、すごくきれいよ、本物の女性みたい!」って言われちゃって本人もその気になりなり、みたいな人のそれ。
 亀治郎も一応、「女装のプロ」だ(こーいう書かれ方はご本人不本意かもしれないが。私は女形も広義としての女装の一つだと思っているので、あえてこういう書き方をする)。亀治郎の舞台も何度か拝見している。やや現代になりすぎるけれど、芸性質(げいたち)の良いひとだ。その彼が、このレベルの洋装女装で満足するだろうか。それが、まず疑問だった。

 また、この写真に漂う不思議さは、役の感じが希薄な点だ。役よりも「あたし……きれい……?」的な不思議なナルシズムがまず感じられてくる。そしてさらには、「でも女装だけどさ」という居直りすら奥に秘めているような気がするのだ。その2つの不思議な同居。
 ひょっとしてそこが、亀治郎の狙いなんじゃないだろうか。
(『じゃじゃ馬馴らし』をきちんと読んだことがないので分からないけれど、確かすごく強い女だったような。そういう役づくりを考えずにメーキャップを決めることはないのだから、彼が何かをこのこしらえで狙っていることは確かなのだ)
 この写真に私が感じる「アンユージュアルさ」は、「口裂け女」のそれに近いように書いていて思えてきた。「口裂け女」が本当に存在したら、こういう女ではなかっただろうか。
 これを揶揄ととらないでほしい。口裂け女というのは不思議にドラマティックな存在だと思っている。口が裂けている彼女は、口をマスクで隠している。そしてさらには、行過ぎる人に「あたし、きれい?」と尋ねる。そこで何かうまいことをいえないと、怒り、たけり、追いかけてくる。そういう伝説。
 マスクで口を隠すというのは、自分の存在を恥じていることの証明に他ならない。けれど一縷の他人様の優しさを求めて「あたし、きれい?」と尋ねてしまう。そういう哀れの漂う存在だ。けれど、「まったくきれいではない」ということを髄まで知っている女。怒る女。開き直っている女。
 そういった「異形のもの」の雰囲気を、私は亀治郎のこの一枚の写真から感じたんだと思う。だから、足が止まった。居竦まれた。
 そういう効果を、亀治郎が狙っているのだとしたら。

 ここまでネタにしたからには、きっちり観にいかなくては。10月14日から彩の国さいたま劇場にて。