新橋演舞場12月大歌舞伎

 中村勘三郎さんの突然の、訃報。
 まだ、信じられていない。
 「ありがとう」「ご冥福を…」「ゆっくりお休みください」…とか、そういう言葉が、実感として発せられなくて(あの人は亡くなったんだ、と心から得心して初めて感謝とか冥福を祈れるというか…)。
 ツイッター(@hakuo416)ではその場その場の思いを吐き続けてきたけれど、うーん…総括的な文章ってな気持ちになれないんですよね。もちろん、自分で勝手にやってるブログなので書く必要もないのだけれど。積極的な贔屓とまでは決していえないような観劇歴の自分でもそうなんだから、ファンの方の胸中はいかばかりか…と思います。
 もうちょっとしたら、書いておきたいと思う。

 さて、久しぶりに生の歌舞伎を観て参りました。12月の新橋演舞場尾上菊之助が『籠釣瓶』の八ッ橋をつとめるという。それを聞いたときはコーフンしたねえ…「これは観ておかねば!」と久々に思ったなァ。
 今日はその感想です。

1:菊之助、見染の場の光

 まず、いきなり身もフタもないんだが…パッとしない籠釣瓶だった。
 うすら寂しいというか、地味というか、薄いというか。ひとえにそれは歌舞伎の「人的素材」「ソフト欠乏」「マンパワー」の問題によるもんだと思うんだけど、それはひとまず置いといて。
 菊之助三十五歳にして初役の八ッ橋、やはりこれは一見の価値あり!
 希代の名工象牙の珠を瓜実型に磨き上げたかのような輝かしきその容貌、あの衣装に負けず劣らず立派で、舞台奥から出てきたときは一握りの役者しか持ちない「びかり」とした主役の華と光が舞台に輝いて、「来た価値、あった!」と思いましたねえ。思いましたよ、思いましたとも。
 それはただ造形がいいという美貌ではなく、芸に修練を重ねているからこそ光るものだと思う。花道での「笑み」はただ綺麗なだけで歌舞伎的インパクトにはまだまだ欠けるけれど、「次はもっといいはず」と思わせるものだった。そのあとの八文字(花魁が道中のときだけにやる特別な歩き方)その気合の入りよう! 思わず「たっぷり!」と大向こうしてしまった。。

2:脇のさびしさ

 さて、すっぱい話に。
「歌舞伎は脇がいなければどうしようもない」よーくこんな話ききますが、今回ほど、このこと痛感したこともなく。
 この話、のっけから花魁道中が3つもあるんですね。ひと、何十人出てるんだろう。これでまざまざ見せつけられたなあと思うのが、脇役(三階さん、と歌舞伎では言う。蔑称と思う人もいるようだが、私はそうは思わないので使うこともあります)の「醸すもの」の大切さ。
 いくら立女形が立派でも、その後に続く新造や男衆に「時代のにおい」が希薄だと、かくもまあ…花魁が引き立たないとは。なーんか花魁道中自体が安っぽく、嘘くさくなってしまうのね。言葉は悪いんだけど…「ゾンビ」みたいだった。ただ「はい並んであんたそこ、あんたそこ、ついてきゃいいから」ってな感じで自分が何してるんだかもう分からず冥府を歩いてるような。

 私は歌舞伎役者には、「濃さ」がほしい。
 ピッと切ってその血がもし付いたなら、二カ月はシミが取れないような。一滴垂らせば池の水もたちまち濁ってしまうような「役者汁」の流れてるような人にこそ歌舞伎役者でいてほしい。三階さんはじめ脇役にその濃厚さがないといかに芝居味(しばいみ)が薄くなるか…その見本のような芝居だと思った。

3:二幕目・立花屋店先

 さて、冒頭の見染が幕になると流れるミュージック。これ、長唄の『吉原雀』ってんですね。
「♪その手で深みへ浜千鳥 通い慣れたる土手八丁…」
 深みへハマると浜の千鳥をかけて、土手八丁は吉原への通い道。八ッ橋にひとめぼれした次郎左衛門が吉原(と書いて、さと、と読んでほしい)にハマり、通い慣れちゃったことを一瞬で説明しちゃうんだから、便利だねえ。
 ここの八ッ橋=菊之助、こしらえ(ヘアスタイルと衣装含めてのルックス総称)がいーんですよ。私が歌舞伎で一番艶っぽい頭(あたま・ヘアスタイルのこと)だと思う「紫天神」もよーく似合う。
 ただ、ここでの彼はイマイチだった。

 まだやっぱり、若かった。
 玉三郎がこの場をやると、「吉原の水を吸い上げて熟した生粋の女」という官能がある。
 長キセルを操って、甘えて拗ねるような小道具にしたかと思えば、襦袢の袖で自分が吸ってついた紅をぬぐい、それを次郎左衛門に渡す…という一連の動作に、音楽的なまでの流動の美しさがある。
 吉原を生きぬいてきた女の媚態と接客テクニックとそれだけではない「こころ」が型に滲み、「ああ…江戸の女はこういうものだったのかなあ…」という歌舞伎をみるひとつの妙味を体験させてくれる。
 10年後はこのひとならきっと出来ると思う。楽しみ。
(しかし10年後…菊之助さんは女形をやってくれてるのだろうか。そのことを思うと暗澹たる思いになる)

4:栄之丞の家

 さて、権八
 この役を本当は三津五郎さんがやればねえ、芝居がグーーーーーーッと厚くなるんだけどなあ、とせんないことを思いつつ観ていた。もちろん團蔵さんお上手だから悪くないんだけど。大和屋の栄之丞もソツないんだけど。でも、おふたりとも本役ではないだろう。菊五郎劇団、尾上松助さんを亡くしたのは痛かった。この役、どちらもあのかた似合ったろうと思う。あのひとも本当に急逝で、かなしかった。もう亡くなられて何年になるんだろう。あの声がたまに聴きたくなる。
 あ、そうそう。大道具が今回、ずいぶん適当に思えた。栄之丞の家の場、下手側の空のところに凹みがあるんだもの。そのほかも塗りムラがあったり、立て方が斜めってたり、張りが甘くてたるみがあったり…役者が厳しく言わないのか、裏方が「コンチクショウ」と思う何かがあったか。いずれにせよ見物には関係ないことだけれど。

 もうね、ちょっとここ不満ばっかりになっちゃいます。あれでしたら読み飛ばして。
 栄之丞の家、手伝いの婆さんが…よろしくない。
 縫物の手つきからセリフがダメなのは仕方ないとしても、買い物から帰ってきて、泥がついてそうな野菜を手に持ったまま「たとう紙」入りの着物(八ッ橋からのプレゼントというあれ)を持っちゃうものだろうか!?
 そして奥に入っての着物の置き方、栄之丞の着替えの手伝い、羽織のかけ方、す・べ・て・ぞんざいこの上ない!
 着替えの手伝い、掛け方が適当だから脇の客から三津五郎の下着が見えるわ、羽織の片袖が三津五郎の肩から落ちて彼に難儀させるわ…うーん…愛がないなあ…。ただ手順がまだ入ってなくて余裕がなかった、というそれだけならいいのだけれど。でも着物を野菜と一緒に持つ…信じられない。今までもそうだったのかもしれないけれど、気づかせない巧さがあったんだと思う。でもちょっと袖を使えばすむことなのに。

5:縁切りから、殺し

 うん、緊張感のない縁切りでした。
 大成駒(中村歌右衛門)でも玉三郎でも「立女形をご勘気にさせたら大変!」という緊張感が脇の役者も裏方もビッキビキにある感じ、それがこの場を結果的に良くしてたんだと思うんだよね。そこがないと、こうなっちゃうんだなあ、と。勿論みんな真面目にやってるのは分かります。でも、やっぱりね。

 九重・七越、傾城二人の懐手(ふところで)の仕方がパキッとしない。この所作がすっきり粋にいかないと江戸の花魁という感じがしないし、格が大きくならない。八ッ橋のセリフ、「玉三郎さんに習ったんだなあ」というのが素直に分かる丁寧な写し。ただここ、テンションキープさせるの大変だよね。分かるけれど、ギューンとそこキープしてくれないと盛り上がれない。「わちきゃつくづく嫌になりんした…」のとこまでクーッとためて、引っ込む。ああ…盛り上がらなかった。盛り上がれなかった。下座の「松の緑」の入り方も唐突、粋じゃないねえ…。
 まだみんな手さぐりという感じで。日が悪かったと思いたい。八ッ橋が大見得切ったあと「そんなら他の座敷へ」というとこ、バツが悪いのか立腹のまま場を後にするのか、菊之助さんも肚を決めかねているんじゃないだろうか。悪い間だった。
 九重、情があって良かったな。梅枝さん、もっともっと役がついて、大きな役者になりますように。ただ、このひとも「女形さん」やってくことにどう思っているのだろう。

 さてさて、次郎左衛門つとめる尾上菊五郎
 ふふふ。まーーーったく山出しの商人に見えず。というか、確信犯だと思う。縁切りで治六に「引っ込んでろ」といなすところ「すっこんでろい!」まんま江戸っ子だよ音羽屋(笑)。万事そんな感じ。まあ…「菊五郎さんらしいな」ですんじゃうよね、この方。しかし次郎左衛門と八ツ橋、両方やった人って歌舞伎史上他にいるのかな。天地会で玉さんが次郎左衛門やったらどうなるだろう。ジャックなら良かったんじゃないかと思う。

 さて、二階の殺し。ここもねえ…以前観たときは「それから何か月経って…」というのが自然に舞台に滲んできたんだけど、そういう感じしなかった。次郎左衛門が殺しの前のセリフ詰まったのは残念。八ッ橋も「それには深い訳のあること、どうぞこらえてくださんせ」(確かこんなセリフ。適当なうろ覚え)ここの形、殺され方を模索中という感じだった。エビ反りは立派だったけど、ただ反っただけじゃ勿体ない。あの、なんていうのかな、ふさの長い髪飾りがまず切られてバサッと髷にかかって。それが反ったときに効果的に「パラ…パラ…パラッ…」と下に垂れないと、八ッ橋の白い体にしたたってるであろう流血の感じが出ない。そこを想起させるのが狙いのストップモーション・エビ反りなんだもの。
 あ、驚いたんだけど、倒れた八ッ橋に「とどめ刺す」のって、今までもしてたっけ…不必要に思えた。明かりを持ってくる女中さん、おしい。これも難しいんだろうね。あれは歌女之丞さんの当たり役、今回も遣手でご出演、こういう役も絶妙だし、局(つぼね)系もうまいひと。凄いね。中村屋さんの信頼厚いひとだったと思う。そのほか脇をいえば、たいしたしどころはないけれど、今回も次郎左衛門付の芸者で芝のぶさんがいい存在感。八ッ橋付きの新造(なのかな)の芝喜松さん、すごく良かった。

 最後に舞踊『奴道成寺』。踊れる人なんだからもっともっと「手」の多い振りでもいいだろうに。もっともっと盛り上がるはず。三つ面のところなんか特に。振りが面白くない。そして花四天も歌舞伎のマンパワーのことを感じさせる。「返り越し」が
『奴道成寺』の華だと思っていたけれど、まったくないの。坂東八大・大和という絶妙に「トンボ」(歌舞伎におけるアクロバティックなアクションの総称)上手だったおふたりが今回は旦那の後見に。もうトンボ、やられないのかな。だとしたら、さびしい。

 はあ…以上、駆け足の感想でしたが、自分でも後味の悪い感想ではある。が、素直な気持ちだ。