團十郎の死

 世の中の人がみな恵方をむいて巻き寿司を食べているような日に、ひとりの役者が西方に旅立ってしまった。

 市川團十郎、死す。66歳。

 肺炎でもっていかれてしまった。私は4日の朝に知った。驚いた。テレビで時蔵さんも語っていたが、突然の悪化だったよう…こけら落とし公演にもすべてキャスティングされていたことを思うと…悪夢としかいいようがない。
 こんなことがあっていいんだろうか。非科学的なことをいうつもりもないが、もう呪われているとしか思えない。歌舞伎に続くこの「異常事態」はなんなのだろう。

 京屋はもう年齢的なこともあり、最後の舞台を観て、もうその復活はないと確信していたこともあり、訃報に際しては「とうとう楽に…」そういう気持ちが強かった。
 中村屋は衝撃は衝撃だったけれど…私は今回、はじめて他人の不幸でなんだか具合が悪くなってしまった。ちょっと熱が出ていま横になっている。ここまでじゃなかった。
 がっかりしたあまり、「変なもの」に負けてしまったようだ。素っ気なく書くと、失望から免疫力が抵抗したんだろうが。ああ、私は成田屋が好きだったんだなあ……。ファンだったんですよ。 
 おっきいでしょう、成田屋。「茫洋」とした芸格というか、うん、「茫」という字がぴったりだと思う。鳴神上人、『関の扉』の黒主なんかがとても好きだった。
 玉三郎さんとはまた違う意味で「この世のものじゃないキャラクター」が似合う人だった。太陽の国のひとで、大和屋は月の国のひとというか。

悲報を聞いてすぐの自分のツイッターより。

「歌舞伎とは何か」という問いのひとつの答えが「市川團十郎」だと思っていた。ファンだった…。あの茫洋たる芸格というか、巧拙を超えた風情が好きだった。こまこましておらず、それでいて常磐津を習うなど修練を怠らないところも。成田屋の黒主をもう一度観たかった。合掌。さぞご無念だろう。

市川團十郎さんにはどこか「芸の眷属」という雰囲気があった。現代のひとだけど現代人ではないというか。「秒」という単位がこのひとには無いんじゃないかな、などと思ったり。いい意味で悠然とされていて、それが歌舞伎舞台をなんとも大きくした。玉三郎さんと違う意味でこの世の人でない感じ。

『寺小屋』の松王、『陣屋』の直実なんかも好きだった。
 現代的な演技理論などまったく不要に思える、超時代的な芝居的反射神経とでもいったものがこのひとにはあって、それは成田屋だけのものだった。不思議な説得力があった(ご本人は現代的演劇のメソッド的なものにも興味を持って勉強しようともされていたのだとは思うが)。
 さらにはその大いなる「成田屋リズム」とでもいうものは、周囲の役者をのみ込み、巻き込んでしまうことが多々あった。そういった作用のうまく働いた芝居こそが、私には「おおお歌舞伎を観たーーーーーっ!」という熱い充足感を与えてくれるものであって、ゆえに私にとっての「歌舞伎とは何か」のひとつの答えなのだった(平成3年だったかの『関の扉』とか)。玉三郎が最も「歌舞伎女形」として輝いたのは成田屋と芝居をしたときだったとも私は思っている。


 死者は死んだ時点からすぐ過去になる。そこがたまらなく哀しい。



 世を去りし あらひとがみや 節分会

 福は内 願いとどかず 役者逝く

 あの六法 思い起こせよ 節分会

 節分や 弁慶役者が ひとり減り