西田敏行の言葉ふたつ

今年62歳

 西田敏行の言葉をちょっとメモしておきたい。
 これから『ラーメンガール』『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』と、立て続けに出演作が公開されるのでインタビューが溢れている。その中から印象的だったコメントを。
 まず、今発売中の「週刊文春 1月22日号」から。おなじみ、「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場。ちなみにこの対談、この回で762回目なんだそう。1年45回として……17年弱か。もはや阿川佐和子は「活字界の黒柳徹子」といって差し支えないと思う。


「役者と俳優という言い方で考えると、役のほうに自分をスライドできる軟体動物みたいな精神構造の人間が役者=コメディアンであって、確固たる己を持っていて、顔とか肉体を微動だにせず、役を自分のほうに近づけてくるのが俳優のような気がするんです」
週刊文春 1月22日号)


これに続けて、
○俳優=高倉健「どんな役を演じても確固たる居ざまがある」
○役者=緒形拳「自分の肉体を『復讐するは我にあり』の殺人鬼へスライドさせて演じた」
 という例を出している。
ひとりの演技者が40年近く演じて得たひとつの感覚。女優でいえば、どうだろう。俳優=岩下志麻吉永小百合。役者=…………これが難しい。誰だろう。今いろいろ思い返していたら田中絹代まで遡ってしまった。女役者論というのも、ひとつテーマだなあ。


 「俳」という字にはもともと「人を楽しませる」という意味合いがあるようなんですね。それに優れた人が転じて、演技者という言葉になったのかもしれない。さらに歴史的には、歌舞伎役者が俳句をたしなむのを常とした背景もあるだろう。と、すべて憶測でネットにものごとを書いちゃいけません。今日の宿題として、近々調べてみます。


○セルフプロデューサーとしての優秀さ

「はじめは文学座に行こうと思ったんです。そしたら『お前は文学座江守徹っていう才能のある役者とキャラがかぶらないか?』と言われて『それは損だ』とまた勝手に思い込んだ(笑)。ならば小さい劇団で派手にやったほうがいいと思い、青年座を受けた」
R25 No.211)


 この種の計算をする人だったのか、ということに軽く驚く。しかしすぐ「やはりなあ」という気にもなる。
「演劇青年」というのは、とかく単調な精神論と技術探求に陥りやすいものだ(演劇少女もまた然り)。しかしプロというのは、「自分をどう見せたら一番特か」というセルフプロデュース能力に若き日から長けているもの。
 西田敏行が今まで「断ってきた役」――多分あるだろう。きっと、映画やテレビの大役がたくさんあるに違いない。そのセルフ・プロデューサーとしての冷徹な目で「自分には、損だ」と判断した役。絶対に仰らないだろうが……ああ、知りたい。


○追記
 今プロフィールを見ていたら……このかた、高校があの「明大中野」なんですね。意表を突かれた。へええ。私の時代、かの学校ってけっこう「おぼっちゃま学校」というかなんというか、ハッキリいって「ちゃらい」イメージの学校だったもので。遊び人が多いというか、派手に見えたなあ。昔はどうだったのだろう。


15日更新・こちらもよろしく→「私の渡世・食・日記

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