由紀さおり RADIO DAYS 1969 


 突然だが、私は若尾文子が好きだ。この愛情は尊敬の念に近い。
 いろんな点で優れたひとだと思うが、容貌、演技力、口頭表現力……そういった様々なものを一括して、長きにわたり高水準をキープしている。簡単に言えば、そういったプロ意識に惹かれているんだと思う。並々ならぬ努力、それこそ執念的なものもあるだろうが、そういったベトついた「根性」「無理感」「しがみついてる感じ」が漂わないのも、カッコいい。
 何事も、難しいことをサラッとやるってのが粋だと思う。特に芸能の世界では観るものに「努力してるのねえ」と思わせないことが、私は最上だと思っている。
 私が由紀さおりに興味を持つ理由は、そういう「若尾文子的なもの」との共通性なんだと、今回リサイタルを観て聴いて感じたのだった。

 タイトルどおり、1969年という年にスポットを当てたコンサート。当時のラジオの深夜放送で流れていたヒットナンバーを由紀さおりが歌う、という構成。
 かつて『オールナイトニッポン』で亀渕昭信さんという方がDJをやられていたんだそうですね。この方が登場、一夜だけの復活という感じで実際のラジオ番組風にステージは進行していった。
 周囲はまあ見事に団塊。当時大学生ぐらいで実際に聞いていた人の胸内いかばかりか。このへんザッとメモ。


○1969年の歌の数々

ブルーライトヨコハマ』からはじまった当時のヒット・チューン。この歌、ちあきなおみ由紀さおりと同年デビューなんだそうだ)もカバーしているんだが……歌巧者が歌うと、なぜかあまり魅力的に聞こえないんだよなあ。私はね。簡単すぎるというか腕のふるいようがないというか…いや、いい歌だと思うんですよ。不思議だ。
 なんといっても嬉しかったのが、西田佐知子の『くれないホテル』を歌ってくれたこと。この歌、たまたまYoutubeで聴いて好きだったのだ。よく言われることですが、歌手というのは持ち歌以外を歌ったときに、真価が出ますね。西田佐知子の歌い方って「マネしてちょうだい」ってなぐらい個性の強い歌唱だと思うが(マネしやすいというかね)、まるっきり由紀風になってて、さすが。
『時には母のない子のように』、『別れのサンバ』(長谷川きよしってはじめて知りました)、『土砂ぶりの雨の中で』、『白い珊瑚礁』(これも知らなかった…ズーニーヴーってグループらしいんだが、どういう方たちなのだろう)。
 最後に歌われた『わすれたいのに』という曲がねえ、実に良かった。まだ耳に残っている。完全に自分のものにされてて、また由紀さおりに合う歌の世界だった。「モコ・ビーバー・オリーブ」という女性三人組の歌なんだそう。こういう歌です。合いそうでしょ?





○第二部

 で。
 ずーっとこの企画かと思いきやアッサリと終わってしまい、第二部ご自分の歌コーナーへ。正直ちょっと肩透かしだったんだが……会場は明らかに「待ってました!」という雰囲気に。
 しかしまあ声出る出る。高音のびるのびる。歌うほどに声が喉がいきいきしてゆくかのよう。冒頭で書いた「若尾文子的なるもの」を感じ入る。その歌のうまさとキープしていることの凄さをまったく「重く」感じさせない。
「このひと歌声変わらないわねえ」
 なんて声を漏らすおばさんが後ろにいたが、「変わらないこと」をまるで天からのギフトのように感じさせる、これぞプロだと思う。

 サプライズで美空ひばりの『車屋さん』、そしてデューク・エリントンの『A列車で行こう』が。俄然テンションあがる私。両方ともさすがの出来栄えなんだが、『車屋さん』はもーーっとたっぷり小唄部分を急かずにやってほしかった。ジャズも、インプロビゼーションのところ遊んでほしかったなあ。美空ひばりバージョンにあそこまで順ずることはないと思うのだけれど。



(参考資料:美空ひばりの『A列車で行こう』すごいよ。スキャットのところ、私は最初聞いたとき震えた)



○苦言・愛を込めて

 と、ここでいきなり苦言に変わります。

 アンコール前の大ラスに歌った、最近のリリースとおぼしき2つの曲。
「歌うこと、それが生きること」
「歌い続けてきた、それが私の人生」
「歌うこと、それは愛」
「ありがとう」
「感謝……」
 みたいなまあ……昨今ありがちな超・直球のメッセージがてんこ盛りの曲で、私は一気に辟易してしまった。ゲンナリ。悲しかった。
 こーいうのはホームページのトップにメッセージとしてでも載せておけばいいのだ(で、最後に毛筆体でサインね)。由紀さおりほどの表現力がある歌手ならば、もっときちんとしたドラマの世界、スケールの大きな演劇的な歌詞世界のある歌を歌ってほしい。そういう曲を歌唱し、表現すればおのずと受け手は
「ああ、これは歌い続けてきたひと、邁進してきたひとだけが達しえるステージだ」
「歌い続け、切磋してきたひとだからこそ表現できる世界なんだ」
 そう感じ入ることができるってもんじゃないか! そこに由紀さおりの人生というのは浮かぶってもんじゃないか!
 歌詞に何か託すのは本道じゃないよ。歌の中は、歌詞に出てくる人達が住む世界であって、歌う歌手のものじゃないと私は思うのだ。
美空ひばりがこの手の歌の走りをやったんじゃないか、と思うんだが、あのかたと一部ファンとの「血の濃い感じ」の繋がりはまだそーいう世界が成立しなくもないとも思い、納得できなくもないんだけどね)。

 愛というこのよく分からない、形も確証もないものを感じさせることが出来るのが、名歌手による「歌」とか、名歌手の「声」なんだと思う。感謝なんて口に出さなくていい。歌手の感謝はいい歌を歌うことで充分だ。
「しょうがないじゃん最近の潮流なんだから」
 分かってます。けれどこんな実力派がそれにのることはない。ああいやだ。こーいうのは宗教歌の世界だけにして頂きたい(「神の恵みに感謝」「神よ万歳」とかそーいうマインド・アジテーションの道具として宗教は歌を使う。そう、こういう歌詞世界って本来「ツール」なんだよね。神への感謝、あとは君主とかへの忠誠の表現とか。歌謡界の人間がこの手の歌を歌うときに私が感じる違和感のひとつはここにもある)。

 と、息巻いてしまった。エキサイトしてしまった。ははは。嗤わば笑え。しかし最近こーいう歌、多すぎるよ。

 ラストは『手紙』、そして『夜明けのスキャット』。最後のハイ・キーは見事の一語。
「まだまだ歌えそうな感じよ!」
 そういって去っていく由紀さおり、うーん、カッコよかった。

【蛇足】
 由紀さおりの「客席いじり」(と書いてMCと呼んでください)はそれはそれは見事でした。まさに自家薬籠中。