『クリスマス・ストーリー』

 明日から公開されるアルノー・デプレシャン監督の『クリスマス・ストーリー』。
 これ、すごく私は好きだった。恵比寿ガーデンシネマのみの公開、そして最近めっきり入りが悪いというフランス映画。勝手ながら応援したいので、ここで書いておきたい。
 こーいう映画は好きな方に確実に知らせないとねえ。ちょっとタイミングが悪くて、映画欄をやらせてもらっている『ゆうゆう』(主婦の友社)で紹介できなかった。


 フランス北部の田舎町、ある大家族がクリスマスに集まってくる。
 お母さんが白血病になったことで、疎遠だった三人姉弟とその奥さんや夫、孫が一同に集結する。と、書くと難病ものに間違いなく思われるでしょうが、そこはフランス映画。お涙系ではまーーーーーーーーったくない。

「今年全員で集まっておかなければ、来年は分からない」
 けれど、
「そんなことを前面に出すのもどうよ」
 という家族の一種独得な、誤解を恐れずにいえば、「面白い」雰囲気。
「そして積年の思いを、母に伝えておきたい」
 という感じが「そこはかとなく」全員にある。でも、まだ死ぬと決まったわけでもないし、縁起でもないし、第一そんな面と向かって「ありがとう」だの「好き」だの決まり悪いよね、絶対言わない……(この辺の描写がいかにもフランス的に思えて、私は楽しく思えてならなかった)。

そして、クリスマス。
 向こうの人にとってのこの日。日本のそれとはまた違う特別な感じってあるんでしょうね。我が国なら、結婚式で親族が集まってるときの感じに近いんじゃないだろうか。
「今日はまあ、何があろうが、めでたく、楽しく、つつがなくね!」
 これが第一位に来るというか。とにかくこの日は平穏無事に、大嫌いな親戚がいようが、何十年も口を聞いてない兄弟であろうが、1日だけ我慢の子、大人なんだから、みたいな空気。

○素晴らしいキャスティング

 この家族、まず白血病のお母さんがカトリーヌ・ドヌーヴだもの。まあ不自然に綺麗で若くて尊厳があって。田舎のちょっとした名家という設定なんだが、彼女だけなんか貴族みたいで(笑)。
 しかし、この大女優はしたたかな「演技的存在感」で「そーいうひとなのよ」と観る者に思わせてしまう。たいした説得力。そして子供たちがみなちょっと内向的で、パッとしなくて、でもママに愛されたくてしょうがないような子供達。こういうお母さんだったらそーなるの無理もないなあ、って感じの長女と男二人兄弟。
 この長女(アンヌ・コンシニ。先ごろBunkamuraで公開された『華麗なるアリバイ』を観たひとも多いだろう)と、長男(マチュー・アルマリック。『潜水服は蝶の夢を見る』のひと)がとあることで大絶縁状態。長女の夫もだらしない長男が心底嫌い。と、書くと橋田壽賀子的世界のようだが、これをフランス人で、デプレシャンでやるとこーなる、ってのもまた面白く。
 そして末っ子にメルヴィル・プポー(しかし艶がなくなった。このひと見ると私は最近の「村上淳」を思い出してしまう。唯一メルヴィルがDJやってる回想シーンだけが極限的に寒い)。その奥さん役がドヌーヴの実子、キアラ・マストロヤンニなんである。
 いやーーーーーーー綺麗だ。顔、まんまお父さんのマルチェロ・マストロヤンニなんだが、シルエットと雰囲気、お母さん入ってるねえ。うっつくしい。
 この奥さん、なんとひと晩旦那の従兄弟とできてしまったりするんだこれが(この描写もね、ヨーロッパ人特有のサラッとしたセックス感で私はまったく違和感をもたず。まあ一度そうなっとかないとねえ、という変な納得感。それを完全に旦那も承知してる感じもいい。人間同士ってたまにそーいう変な「逢魔が時」ってあるもんさね、と彼も私もスーッと納得)。
 こんなもつれた家族たちが「クリスマスだもの」「お母さん病気なんだもの」という空気の中で「まあつつがなくいきますか」「でも腹立ちますね」「まあこれがセラヴィー……」「でもやっぱ我慢できん」「好き勝手やらせて頂きます」的にさらにもつれて絡んで、しかしさすが家族、自然に解けて……的な展開がね、実にいいんだ。
 素敵な群像劇です。150分と聞くと長く思われるだろうが、私はなんていうかな……子供の頃、すごくおいしいクッキーの缶をもらって、それをいとおしみつつ、ゆっくり食べてはしまって、また食べて、というときのような、幸せな気分でゆるりと観て楽しんだ。
 12月に入って夕方あたりこれを観て、映画館を出たら辺りは真っ暗……なんて、いい心地だろうな。

 ご興味のある方は、ぜひ。


<蛇足>
 キアラとドヌーヴ。おとっつぁんそっくり。