片岡愛之助丈に思う

 朝起きたら歌舞伎のニュースがヘッドラインに。
 片岡愛之助さんの私生活の……まあ「スキャンダル」ですね、それが取り沙汰されていた。

 その報を聞いた瞬間まず私はどーにも不思議と、なんだか、嬉しくなっちゃったのだ。
 なんというかまあ、
「ああ……『ニュースになるひと』になったんだなあ」ってな気持ち。
 上から目線に思えるかもですね、すみません。でも、「醜聞」が出るなんて一人前の芸能人の証じゃあないか。真面目なファンのひとには怒られるかもしれない。けれども、良きも悪きも騒がれてこその芸能人。芸事以外でニュースになる、それだけの「格」が認められてきてるんだなあ、と変に感慨深くなってしまった。
 ほんのちょっと前までは歌舞伎ファン以外、知らない名前だったんだもの。



この「鼻白む」気持ちはなんだ?

 しかし……「歌舞伎役者に隠し子!」 このニュースを聞いてどーして私はこんなに鼻白んでしまうんだろう。
 ひとつに、いつもの「なんでいきなりマスコミ、急にそんな潔癖でご清潔な姿勢になんだよ」というのがある。「歌舞伎界のあきれた『常識』、一般の感覚から乖離もはなはだしい」みたいな論調。「世間様」と乖離しまくってるのが歌舞伎だからねえ…そんなことあんた今さら言われても。「世間様」であるところの歌舞伎ファンが一番そこ分かってるのに。
 あとこの手のネタで毎度思うが、「役者はお客に道徳教えるために在るわけじゃない」ってな気持ちもある。名作映画『Wの悲劇』の羽鳥翔のセリフを引きあいに出すまでもなく。あとまあ……『女性セブン』の後追いしてネタをかせぐようなマスコミのつまらなさに辟易してる部分もある。



●もう一般人は知っている

 マスコミ、「隠し子」って言葉を使いたいだけなんだと思う。それだけでもう不穏でスキャンダルな匂いがする単語だもんね。「密会」「美人OL(医師でも教師でもなんでもいい)殺害、失踪」マスコミが使いたがる、誌面・画面を埋めたがる「フレーズ」の上位にある言葉なんだと思う。
 さらにいえば……「隠す」必要が本当にあるほど切実に、ファンのイメージを大事にしている「スター」なんて、いるのだろうか? 
 子供がいることを絶対に隠さねばならない、それほどの「タブーなひと」なんて、今の芸能界に果たして何人いるだろうか。皆無だと思う。
 もうそれは「うわつがた」、美智子妃、雅子妃、紀子妃ぐらいしか「大スキャンダルとしての隠し子ネタ」はありえないだろう。
 そしてもう一般人は皆、「本当に隠す必要があるひとたち」に現行のマスコミは踏み込めない、踏み込まないことを知っている。分かっている。
 だから、私は「隠し子」なんて聞いても「ふーん」と鼻白んでしまったんだと思う。つっ込みやすい相手に、しかも梨園に野暮なこといってんじゃねえよ、なーんて少々乱暴な気持ちになってしまったのだ。



 
●将来は見事な十郎役者に

 はい、もういっそのこと何にでも「隠し」って言葉つけてみるってのはどうでしょう歌舞伎。
 エグザンプル:「隠し弟子」「隠し番頭」「隠し道成寺」「隠しご贔屓」「隠しモギリ」「隠しご祝儀」(これはまずいか)「隠しイヤホンガイド」「隠しカレースタンド」「隠し小山観翁」「隠し鳥羽屋里長」「松竹大歌舞伎七月隠し公演・錦ちゃんのどこでやるの!?」……もうエブリシング隠し。非常の際は隠し通路より隠し非常口にお逃げ下さい。死ぬっつうの。

 私は片岡愛之助というひとは得難いキャラクターだと思う。品があって、舞台栄えに独得のきれいさがある。清潔なのだ。それでいて「陰」の良さがある。太陽ではなく月の良さ。
 玉三郎の初演のだったかな、『女暫』で確か茶後見をされていたと思う。そのときの涼やかな風情は絶品で目を奪われた。あーいう役で見物の「眼」をさらうというのは生まれつき何かをもってなければ出来ない。
 このままうまく行くと、10年後に最も「十郎」が似合うのはこのひとだと思う。ご贔屓がうまくついて大きい役者になってほしいなあ、と思う。えらそうだな。いえ、ただ単にひとりのファンとして、将来の歌舞伎が面白いものであってほしいのだ。
 こんなワイドショーネタ、歯牙にもかけない神経も持ち合わせて、大物にどんどんなってほしい。
 なーーーーんて、余計なお世話でした。