エラ・フィッツジェラルドの思い出

エラ・フィッツジェラルド

 エラ・フィッツジェラルドにハマったのは、中学生の頃。月のお小遣いをもらうたび、彼女のCDを1〜2枚必ず買っていた。それが何年続いただろう。彼女の代表作でもある「ソングブック・シリーズ」を少しずつ買い集めては、繰り返し聞いていた。
 きっかけは、CMだった。クレスタという車のコマーシャルで、ガーシュウィンの「Someone to watch over me」(やさしき伴侶を)が使われていた。彼女の「ガーシュウィン・ソングブック」からの一曲。それを聴いて私は、一発でファンになってしまった。ファンというか、「とりこ」という言葉のほうが近い。リチャード・ロジャースの曲じゃないが、まさに「Bewitched」という感じ。ああ、なーんて綺麗な声なんだろう、なんて美しいフレージングなんだろう……衝撃だった。と、いきなりエラの思い出を綴っていますが、今日は彼女の誕生日なんだそう。よく見ているYAMAHAのHP、「音楽日めくり」を見ていて知った。それと共に、いろんなことが思い出されてしまって。
 向こうのジャズ・アルバムが日本で発売されると、歌詞カードが付いてくる。これは、洋版にはない日本独自のサービスだ。とってもいいことだと思う。エラの歌を聴きながら、中学生の私はずっと歌詞を読んでいた。いや正直に書くと、一緒に歌っていた。私はその頃、ちょっとばかり英語の成績がよかった。それはエラのおかげだと思う。ジャズの歌の世界独得の、シャレた表現や韻を踏む言葉の遊びを、とても面白く彼女は聞かせてくれた。生きていれば、91歳。亡くなってもう、12年。一度でいいから、ライブに行きたかったなあ。と、意味もなくエラのことを書きとめておきたくなった金曜日。


○行状記録
引っ越したばかりのムネタカとランチ。彼の住む新しき街へチャリで出かける。神泉で歯の治療をしてた、というムネと落ち合ってチャリで移動。駅前近く、パンケーキが有名、というカフェへ。

 誕生日祝いです、とおごってくれた。ありがとう。郵便局の前でムネにおばさんが声をかける「あの、ひょっとして……」会釈するムネ。「さすが」とからかおうかと思ったけれど、本気で怒りそうなので、やめた。
 その後日比谷でロブ・ライナー監督の『最高の人生の見つけ方』の試写。ちょっと時間が余ったので、日比谷公園を散歩。広いなあ。

 噴水が風に揺れて、水しぶきがあちこちに。芝生からはチューリップが伸び、ベンチには居眠る人々。
 そこから歩いてすぐ、夜は新橋の「A.te」に行く。「マルディ・グラ」にいた方が独立したという店。感想はまた別に。
 新橋といえばSL広場。滅多にこないのだけれど、本当にテレビの質問レポーターがよくいるんですね。大昔、「ニュース23」で小泉内閣について聞かれ「どうせオンエアされるわけねえや」と言いたい放題喋った苦い過去を思い出す。あのとき私は酔っていた。それが顔に出ないんだこれが。しっかりオンエアされていた。結構タップリ。「昨日観たよー」仕事関係の人にそういわれて、「顔から火が出る」という言葉の意味がよくわかった25歳の秋。「からくりテレビ」のカラオケコーナーなんかに誘われたらどんなことになるか……。絶対に新橋で酔うのはやめよう。


○お知らせ
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