三浦和義、自殺

ちょっと「奥田瑛二」入ってる

大向こうを狙うような芝居
 演劇、それも「旧」の世界で使われる表現なのかもしれない。歌舞伎や新派、日舞などの古典の世界での用語だろうか。
 要するに、クサい芝居のことだ。やり過ぎというか、うるさい演技というか。一番舞台から遠い「大向こう」(三階席からさらに遠い、一幕見の場所のこと)まで「どうだっ!」と見せ付けるような芝居のことを指す言葉。
 三浦和義というひとは、一生涯「大向こうを狙うよう」な生き方をしたなあ。そんな感想を、ニュースを聞いて感じていた。


 ここまで、人を「アッ!」と言わせるのが好きだった人も珍しいと思う。うん、この自殺も世間を「アッ!」と言わせたかっただけなんじゃないだろうか。軽い言い方に聞こえるかもだが、真剣にそう思う。
 いきなり話はクダける。断言してもいいが……三浦和義は絶対に「サプライズ花束」を何度もやっているはずだ。デートの待ち合わせをして、後ろからいきなり「はいっ、プレゼント!」と花束(多分大振りのバラ、それも赤かピンク。バブル時代は「かすみ草」のブーケもやったはず)と共に登場っていう、あれですね。
女「どうして……? なんの記念日でもないのに……」
和義「いや、ただ花を贈りたくなっただけさ」
 とかなんとか。絶ッ対にやってるはず。女をアッと言わせて手中に落とす――そんなことが、「くせ」になっている雰囲気をたたえていた。そこで、止めておけばよかったのに。
 最近の彼しか知らない人は完全に理解不能だろうが、昔の三浦和義というのは、ある種の女の人にすごくモテそうな雰囲気があった(ここで思いっきり話は逸れるが……三浦の加齢の仕方は不思議だった。歳と共に「オッサンみたいなオバちゃん」「オバちゃんみたいなオッサン」になるひとは多いが、「変におばあさんがミックスされたおじいさん」になる人は珍しい。両性的になる人は多いが、年を経るごとに三浦の顔は、男性性を女性性が駆除しているような趣きを見せていったと思う。何かの呪いか!?)


サイパンにて。お衣装は「レスキュー隊」をイメージ。どうでもいいが後ろにいる人が亀田大毅に似ている


 話を戻す。サプライズ花束系の男というのは、相手を驚かせることよりも、驚かせた自分に酔っている。「こんなシャレたことが出来ちゃう自分」が、好きなのだ(相手は喜んでいるかどうかは、この場合関係ない)。そういう変な、独得の「サービス精神」のある人だった。そしてそれは、どんどん暴走していった。
 そういった彼を、ある意味「みんな」楽しんでいたと思う。大喜びしていたと思う。部数的な意味でも、彼を「楽しみ」倒した「週刊文春」は、一種三浦は「恩人」じゃあないだろうか。三浦は晩年「作家」とも名乗っていたようだから、「菊池寛特別賞」でもあげればいいのに。
 などと書き連ねていると、どんどん走馬灯のようによみがえる三浦の「サービス」万華鏡。
「一美ィ! 一美ィィ!」 とベッドで横になりつつ連呼したり、嗚咽を漏らしたり。ワイドショーのレポーター相手に涙ながらに語ったかと思えば豹変、激昂して見せたり。そしてネタが尽きてきたら万引きしたり。すべてこれ、変な「サービス精神」による「芝居」だったんじゃないだろうか。

これも変種の『ベッドシーン』ともいえなくもない


 この「芝居」がもっと巧ければ、いや、少なくとも変なクセさえなければ、「肉親」の映画プロデューサーにして大タレントの水の江瀧子が、彼を俳優という職業に閉じ込めておけたと思う。そして彼の「自分大好き」精神も、満足出来たろう。しかし、彼はクサかった。クサすぎた。
 今回の「芝居」が、一番「にくい」演出だった。留置所の勾留初日に、人生の幕引き。謎はすべて冥界に携えて、三浦和義が逝った。
 享年、61歳。それは、長いのか短いのか。


ようやく更新しました、先週サボってごめんなさい。
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