山田五十鈴、逝く。


 とうとう…。

 今朝起きて、ツイッターで知る名女優の死。9日に95歳で亡くなったという。

「大女優」という言葉の死だな、と思った。この言葉はもう日本語として、私の語彙の中では「2012年まで存在した稀有な芸能上のいきもの。希少種」という記述に改められた。
 山本富士子若尾文子佐久間良子もお元気だが、「山田五十鈴」という言葉、大きく言えばその言霊の前では「大女優感」は、小さい。

 山田五十鈴
 映画の黄金時代以前から叩き上げでスターとなり、幼少時から日本古来の歌舞音曲を習い、身につけた。歌舞伎に通じ、新派のものも得手とし、そして後年は商業演劇で座長として一時代を築く…。杉村春子山田五十鈴という二人の死をもって、「大女優」という言葉はもう封印したほうがいい。本当にそう思う。この二人を知らずして「大女優」という言葉は使ってほしくない(などといいつつ、私もこのお二人のお仕事を年齢的にそんな肌で知っているわけもないんだけれども…)。
 
 私の「ヰタ・イスズアリス」は何だったんだろうな。多分、テレビで放映された野村芳太郎の『疑惑』だろうか。そして中学時代に並木座成瀬巳喜男の『流れる』、そして黒澤明の『蜘蛛巣城』を観て、強烈にその名前を覚える。まあこういう大名作は皆知ってるからさておき、90年の木曜ゴールデンドラマ『大阪船場女の陣』が忘れられない。
 これ、大珍品なんですよ。確かベルちゃん(彼女の愛称)、エレキギター弾いてバックで金田龍之介がドラム叩いてるみたいなシーンまであって度胆抜かれた記憶が(笑)。内容はお妾さん同士が競い合う(相手は新珠三千代)という他愛もないものだったけれど、芸の力でみせちゃう楽しいドラマだった。「余芸」という感じだった。

 そうそう、NHKの公開ライブライリーってのがあるんですね。過去の秀作を無料で観られるという夢のような施設なんだが、ここで観られるドラマ『変身旅行』、これが面白い。
 内容は、無いんです。
 これ全編、ザ・山田五十鈴ショー! 大女優がお忍びで旅行を楽しみ、そのお供が三木のり平という設定。お忍びだもんだから変装してしまくるんですね。これが変装どころか逆に目立つようなゴージャスな格好ばっかりでまあ…おっかしいんだ。「なんじゃそら」「だって五十鈴だもん」「そっかあ」で成立する世界。地方の大衆演劇に出る羽目になったり、昔の男のために座敷舞披露したり、チャイナドレスを着れば三木のり平は謎の中国人の格好になったり…五十鈴七変化。
 映画や舞台で本気じゅうぶんの名作を残していればこそ、こういう「遊び」もこなせたんだと思う。こういう企画は格と実績のあるひとでしか成立しないもの。まだ色香たっぷり、1978年の作品だ。

 山田五十鈴の映画デビューは1930年という。82年前に、もう働いていたのだ。
 数え6歳から清元を始めたと聞くから、芸道を歩んで90年の女優人生だったのか。「運命」、という大きな言葉が冗談にならないひとだ。女優になる運命。女優となる運命。そしてそれをまっとうした、山田五十鈴というおんな。
 かつて新派の名優、花柳章太郎は「紫陽花や 山田五十鈴といふ女優」という句を残した。

 おりしも紫陽花がかれゆくころ、大女優が逝った。


●付記
11日NHKニュースWEBより。

山田五十鈴さんと44年の親交があり、9日も山田さんが亡くなる数時間前まで病室で付き添っていた演出家の北村文典さんがマスコミ各社の取材に応じました。
山田さんは脳梗塞になったあとも復帰への意欲を見せていたものの、かなわなかったということです。
北村さんは9日昼前、「容体が悪化した」という病院からの連絡で駆けつけたということです。
北村さんは、「山田さんが代表作の舞台『たぬき』を演じた際の録音テープを聞き、ラストシーンの自分の歌声に合わせて首を動かす様子が非常にかわいらしかった」と述べ、駆けつけたとき、いったんは容体が安定していた様子を振り返りました。
しかし夕方、北村さんと付き人の女性が病室から帰ったあと、再び容体が悪化し、息を引き取ったということです。
北村さんによりますと、山田さんは平成14年に脳梗塞になったあとも三味線のけいこをしていましたが、後遺症で右腕がうまく動かせず、「語り」だけでもやりたいと復帰への意欲を見せていたものの、かなわなかったということです。
また、この1年ほどは、山田さんはときどき、北村さんのことを「監督」と呼び、「太秦はいつですか」とか、「スタッフは何人ですか」と尋ねるなど、映画女優として第一線にいた当時を思い出したようなやり取りがあったということです。


 
 うーん…すごいなあ。ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』を思い出す。グロリア・スワンソンが放つ最後のセリフ、「I'm ready for the close up、Mr.Demille」そのままじゃないか。「女優の業」を最期まで…。


毎日新聞ニュース
山田五十鈴さん:死去95歳 映画、舞台で活躍
http://mainichi.jp/select/news/20120710k0000m040123000c.html?inb=tw
この毎日の山田五十鈴追悼、写真十二帖が素晴らしい。いつまで観られるか分からないが、ファンの方は是非。http://bit.ly/PHmMKI  暖簾から「ようこそ」といった幕開けにはじまり、伝説のぬいぐるみ写真、淡島千景さん、京マチ子さんとのツーショット、労働者大会で公演なんて珍しいものまで。

●追記
香川京子さんコメント(毎日新聞10日)
「普段は構えることもなく、気さくで楽しい方でした。演技についてこういうふうに、と細かく指示されるということはありませんでしたが、脇から拝見して女優としての姿勢、根性を教えられた気がします」「華やかなところから、ご自分の意思で独立プロの作品に出られて汚れ役に挑戦されたり、勇気があるなあすごいなあと見ていました」
浜木綿子さんコメント(同)
「華やかでかわいらしくて、お声も魅力的。一番のあこがれでした。『香華』の郁代をなさった時などは毎日舞台袖から拝見していたものです。恋をなさっていた時のお姿も覚えています。ご性格もおおらかで、まさに大女優でした」