『御名残四月大歌舞伎』その1

「響き」なんだよね、やっぱり。

 歌舞伎座の魅力というのは、この響きなんだなあ、と再認識。本当に久しぶりに1階席で拝見しましたが、役者の声が発せられてから天井、そして大向こうに響いて、また1階に帰ってくるこの感じ、この響き!
 本当に歌舞伎座のそれは耳に快いんですね。そして小さい声でも、遠くまでよーく伝わるように響くと思う。
(いきなり余談だけれど、小さい声というのは小声<こごえ>とは違う。鍛錬された役者が小さく発する声は舞台で通るが、技術のない人が出す小声はいくら劇場がよくても通らない)
 これを味わうことが名残だなあ、としみじみ感じた歌舞伎座さよなら公演の大千秋楽でございました。
 感じたことをザーッとメモしておきたい。



1:御名残木挽闇爭(おなごりこびきのだんまり)

 浅葱幕がパッとおりると無人の舞台、そしてせり上がってくる若手花形の面々……染五郎菊之助海老蔵獅童勘太郎七之助、それに孝太郎と時蔵
 やられたーーーーーーーーーーーっ! いやーーー目のお正月、させていただきました(笑)。古い言い方だけどまさにそんな感じ。初日の出のようにおめでたい。
これ、まんま『曽我対面』なんですね。なんでもありの歌舞伎らしい一幕。ショーとして楽しめばいいもの。何かケチをつけるっていうのも野暮なんですが……最近思ってたことを、ちょっとここでひとつ。
 海老蔵って、目をむきすぎだなあ。どこでも「決め顔」があれでしょう。CMでもポスターでも、舞台でも。乱用、とすら思う。決め技は、使いすぎるといざというときに「きかなく」なる。スペシウム光線を最初から使うウルトラマンじゃ話にならないのと一緒だ。
 さて菊之助
 いいねえ……いーーーーねえ! 歌舞伎を構成する要素のひとつ、所作の美というものが彼にはある。その長袴の「さばき」の優美なこと(彼は十郎の役だった)! そして月代(さかやき)から額にかけての線の流麗たること、歌舞伎界随一だと思う。時代劇の「おとこの美」というのは、ひとつここがポイントだと私は思っている。長谷川一夫というかつてのスターは、この線がずば抜けて綺麗だった。それが「日本一の色男」と言わしめた強みだったと思う。
 ああ……このひとで『桜姫』やってくれないかなあ。白菊丸だっけ、前半の小姓の姿が特にいいと思う。
 そして七之助が美しい。赤姫の格好だったけれど、なにか月光的な美しさ。自ら放射するのではなく、反射する美。蛍の光のように淡く、水面(みなも)にうつる月のような。この嫋々たる美感が立ち役になると一転、猛々しいまでの雰囲気を放つのが役者の不思議。
 そして幕切れ、三津五郎の六法の引っ込み。これがねえ……ほんっとうに良かったんですよ。気力じゅうぶん、という感じでエネルギーがクワーッと花道から噴出されていた。「気」が見えるようだった。うん……そうそう、歌舞伎ってこういうものだ。こういう凄さがあるんだ。役者の放出する気を貰う、そういう凄さ。それを後の『連獅子』でさらに感じるんだけれど。

<参考資料:尾上菊之助。映画『怪談』より>


2:熊谷陣屋


 今回は貧乏ライターには分不相応な1等席、、それも花道に近い席だった。痛い出費だが……ああ、無理してよかった!
 なんといっても熊谷の出、その表情をしかと観れたことが大きな収穫だった。
 中村吉右衛門のその表情がね、実にいいんですよ。「いい」というシンプルな言葉じゃ全然足りないんだが……私はある種、ショックを受けてしまったほど。
 何か悪いものに魅入られてしまったような、心ここにあらずといったその表情。胸の内を何か絶望的な、悲惨なことに専有されてしまったようなその表情。義太夫の「もののふのあわれ」という言葉がその表情に「のり」、すべてを暗示する。
 もののふのあわれ。この言葉が播磨屋の表情と共に、心に深く刻まれる。そしてラスト花道の引っ込みの後、また自ずと心に浮かび上がってくる。
引っ込みの表情も、ショッキングだった。発狂するかのようなその表情。体の内側に毒虫が何匹もへばりついて離れないかのような苦しみが、そこにあった。直実はこの後何十年も、懊悩と悔恨のはざまで苦しむのだろう。心の安心立命を得られる日は来るのだろうか。遥か先の未来までも思わせる芝居だった。
 もののふのあわれ。
 この言葉が幕が閉まってからも心に浮かんで、私はひとりぼんやりとしていた。


3:連獅子


 歌舞伎座スタンディング・オベーションをしたのは初めて。
 興奮した。漢字じゃ書けないな。コーーーーーーーーーーーフンした! うん、オーバーじゃなくてね、私以外の客席も熱狂してました。もんのすごい高揚感だった。立ち上がったの僕だけじゃなくてね、結構立ってましたよ。パッと見たところ、1階席で2割……はいたと思う。緞帳が下がりきってから、ゆうに3分は拍手が鳴り止まなかったんじゃないだろうか。
(それでもカーテンコールはなし。係りの人と話してたら「カーテンコールすることもあるんですが、勘三郎さんが次の『寺子屋』に出るからじゃないでしょうか」とのこと)
 前シテで勘太郎がひとくさり激しく踊った後、フッと花道で座し、しばらく静止するところがある。ここで彼、息も荒らさず肩も上下させない。ジッと静かに息を殺している。
 えらいっ! こういう「舞踊的忍従」、いいですねえ。清々しいですねえ。

 ただ。
 後ジテの毛振りになってからが疑問。勘太郎、首で振っているように思える。毛を右斜め前に振り出す「巴」が見ていて苦しくてね。お父さんと七之助は腰で振っているんだが……あれでよく1ヶ月できたもんだ。体、痛めなかっただろうか。毛の自在さ、振りの大きさ共に勘太郎だけひと回り小さく思える。
 この毛振り、七之助がことのほか気合が入っていた……というよりも、なにか鬼気迫るものがあり、命を削っているかのような踊り。毛が「いきもの」に見えたのは久しぶりだった。勘三郎のことを書いていないのは、文句が何もないからです。大きくて、立派で、品があって。ほらね直球な褒めって面白くないでしょう(笑)。
 すごい「気」を貰った『連獅子』であった。舞台に命が燃えていた。

<写真は「シネマ歌舞伎」のポスターより>


 追記:そうそう、蝶後見で小山三さんが。お出になられた瞬間、ジンワリときてしまった。お元気だなあ。嬉しかった。


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蛇足:というか題して「ロビーの華々


 勘太郎夫人、前田愛さんってもう受付にガンガンいらっしゃるんですね。実に初々しく。あ、そうそう。今日は「生・扇千景」も拝見できてン……あはは、瞬間「ありがたや、ありがたや〜」と心で手を合わせる自分がいました。なんというかですね……まぁ、福々しいんですよ(笑)。「本尊」感に溢れていらっしゃる。ありがたやありがたや。山城屋とツーショットなんか見られたらそれだけで2歳は寿命延びると思う。いやマジで。
 そして菊五郎夫人、富司純子も当然入り口に。
 はぁ……。
 綺ッ麗なんだこれが。淡い水色の着物を召されて、まるで鷺のごときその立ち姿。これでおさめれば「いいひとブログ」なんだが……帯が二重太鼓じゃないのが意外。いいのだろうか?
 そうそう、華麗なる梨園おんなのロイヤルファミリー、波野久里子、寺島しのぶといった面々も。さらには池上季実子さんまで。すごいピンヒール履いてらした。スタイルがよくてね、タバコをフーッと吸われていてカッコ良かったなあ。
 あ、山田洋次監督もいらっしゃいました。ものすごく嬉しい自分に驚く。このひとが寅さんを全部監督したのだと思うとね……なんだかジーンとしてしまい。歴史がそこにある、という感じ。あ、そうだ。えらいハンサムがいるなと思ったら、小澤征悦氏。やっぱり目立つものですね。

 参考資料:寺島しのぶさん。この日はご主人と一緒に。私の3つぐらい後ろでらしたが、やはりご主人とのトークは「シングリッシュ」なのだろうかと一瞬考えてしまった。バカな私。


 さらに蛇足:ほんっとうに下世話な話なんですが……こういうハレの歌舞伎座に来るたび、私は毎度「美容院……大繁盛……」と思ってしまう。みなさん午前中からなんでそんなに「おぐし」が見事なんだろうか。
着物っておそろしいですね。いいものを着れば着るほど、どこかに手を抜くとガクーッと落ちる。間抜けに見える。「あ、手抜いたな」っていっぺんで分かる。怖いものだ)


 長いね、続きはまた明日ー。

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