サボってた句作をまとめて
随ーー分とサボってしまった。
でも何が何でもこの1年は頑張らねば。2週間分、ツイログで出来事を振り返りながら週末に作ってみました。
○4/8
いかなごの釘煮で茶飲む虚子忌かな
俳句で面白いのは、有名な俳人が亡くなった日が「〜忌」としてひとつの季語になってるんですね。この日は高浜虚子の命日。高浜虚子ってまだ亡くなって54年なのか、昭和34年没。もっと遠い人のように感じていた。別名として椿寿忌とも。
この前日かな、神田の有名ホテル、「山の上ホテル」で火災騒ぎが。驚いた。幸いケガ人はなくボヤで済んだよう。従業員のタバコ休憩が原因だったようですが、私はこんなツイートしてた。
いたずらに該当者が糾弾されるようなノリになったら嫌だなあ。これを反省材料にきちんと喫煙休憩室が従業員のために作られることを望む。ホテル従業員の心労だって並大抵ではないだろう。
○4/9
藤揺るる あるじは見惚れ 休む犬
藤が咲いているのに初めて気づいた日。藤の季語としては「山藤」「藤棚」「藤の房」「藤浪」なんてのも。長唄の『藤娘』のオキに「若紫に十返りの 花を現す松の藤浪」という有名な文句があるけれど、松にからむ山藤なんて一度でいいから見てみたいものだ。
続きを読む『あまちゃん』の感想など
ツイッターでいろいろ書いておりますが、なんとなくそんな気になったので、こっちでもまとめておきます。その日ごとに思ったことをツイッターより列記。
○1日
まずオープニング、主題歌が無いのに好感!
歌を毎回聞かされる(嫌なら見なきゃいいのは百も承知ですが…)、これに結構、疲れてたんだよなあ。特に『梅ちゃん先生』(ドラマ序盤で見なくなりました)と『純と愛』。オープニングに何かメッセージ的なもの歌いかけられてくるとゾーッとしてしまう。ドラマで感じさせてほしいもの。
キャスティングが好きな俳優、つまりはクセモノばかりで嬉しくなってしまった。特にごひいきは木野花と美保純。絶対今後このふたりの「過去」が描かれるはず。期待。
※この日は羽賀研二に懲役六年が確定。長嶋茂雄と松井秀喜に国民栄誉賞の贈呈が決定など。
○2日
キョンキョンはこういうガサツというかぶっきらぼうな物言いがハマるんだよね。しかし本当に宮藤官九郎の脚本って、苦手だ…。この「小ネタのくすぐり」の羅列がどーにも私にはまだるっこしくて。今日でいうと絵文字のくだりとか。小笑いさせてくれなくていいのに
なんてツイッターに書いてますね、私。同じ理由でビリー・ワイルダーとジャック・レモンの作品も一部苦手。「じぇ!」とつぶやく人、あの絵文字を使う人、多発。
新しき歌舞伎座、初日。第3部の『勧進帳』、高麗屋さんの弁慶の引っ込みがNHKで中継されましたが、ものすごく疲弊されているように見受けられて、心配。お元気であられますように。
○3日
早くも見逃す。春の嵐、ものすごい突風と雨。しかし夕方遅くに嘘のように止んで、暖かくなった。近くの南平台では早くもハナミズキが咲いていた。
○4日
キョンキョン(どうしてもこう呼んでしまう)があの役ってことに、ものすごいリアリティを感じてしまう。しかしテレビ、登場人物の心情を描く上で「ムシャクシャして仕方ない」ときに、缶ひとつ投げられないのかなあ。やっちゃダメだけどね、「あ、投げないんだ」と思ってしまった
キョンキョンはヒロインのお母さん。昔、軽くツッパッてたというキャラなんですが、すごーくハマるなあ…こういう設定。それが観られるだけで何かひとつ、こちらを満足させてしまう。小泉今日子って「うまい女優」「いい演技者」とはまーったく思わないんですが、「芸能人であるしかない選ばれた存在」だと心から思う。そういう人は芝居とか云々じゃあないのだ。
今回ツボだったのが、杉本哲太の車の座席シート、頭部のところに赤・青のバンダナが巻いてあったこと。あ、あるある…(´Д`;) きちんとペイズリー柄だった。ゆれるヤシの木の置物とか後部ガラスに貼る「お先にどうぞ!」とか色々つられて思い出す
ツイッターによると宮本信子さん(ヒロインの祖母役・海女)が乗る船のカゴだかに「マルサ」って書いてあったそうです。こういう小ネタは好き。
また気が向いたらこちらにつけるかもです。
○一日一句
4/1
4/2
春嵐ものともせずにます若葉
4/3
足もとに若葉の影と桜花
■
夏の花のように木瓜が咲いてました。代々木八幡のあたり。
○一日一句
3/27
手包みや 春色あふるる 東京駅
春の色 手包みに咲く東京駅
東京駅の隣、日本郵便の中にできた『KITTE』に寄ってきました。平日にも関わらずまだまだすごい人出! 地方スイーツやフードの店がたくさん、混雑なれど、そぞろ歩きはなかなか楽しかったです。反対側のサイドにある山梨と山口のアンテナショップでリサーチの後、新橋で打ち合わせという日。春の霧の日でした。
3/28
お練りとて 贔屓も無き身の 春の雨
若手を中心とした歌舞伎役者、銀座通りでお練りの日。歌舞伎座会場は4月2日。
3/29
花散るや 良子という名の 女優逝く
この日は坂口良子さんの訃報が何よりショックで…驚きました。明るい、気取らない感じの女優さんで、好きだったなあ……私の中での「きれいなお姉さん」第一号はこのひとだったと思う。57歳という若さ。合掌。
3/30
春時雨 薄着を悔やみ 燗たのむ
3/31
歳時記に旬教えられしホウレン草
4/1
嘘をいふ相手もなくて万愚節
何が嘘かわからなくなる万愚節
エイプリルフールは歳時記的にこういうのだそうです。一度ぐらい、面白い嘘をついてみたいと思いつつ果たせずにきております。
『ハーブ&ドロシー』の続編、佐々木監督にインタビュー
『TV Bros.』最新号にて、映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』(3/30公開)、佐々木芽生監督にインタビューしています。
現代アート作品をこつこつ、約5千点も集めたニューヨークの老夫婦、ハーブ&ドロシー。こう書くと「超リッチ!」と聞こえるでしょうが、ごく普通のおつとめ人なんですよ。リタイア後は年金でアート作品を買うような。
ジャスト「好きだから」、アートと関わって、やりくりして、買ってきた。
でも審美眼はするどく、彼らが買ったあと有名になった作家もたくさん。売れば裕福に暮らせるのに、売らない。絶対に。見事なまでに1点も。
理由は、「好きだから、持っていたい」、ただそれだけ。
この御夫婦、本当にいい意味で俗ッ気がなくて、かつ、さりげなくて(ここが大事。さりげないアメリカ人もいるのだ!)。そして、好きなことにだけは、熱い。
私は二人を見ていると、なんだか小津安二郎の映画『彼岸花』に登場する、佐分利信・田中絹代の夫婦がフッと思い出されたりした。「佇まい」という言葉が似合うアメリカ人夫婦は、少ないぞ。
この映画、母体となる前作があるんです(『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』)。試写で拝見して、「うーん…なんて素敵なドキュメントだろう。どこかで、何かで、紹介したい、記事を作るという形で、関わりたい!」そう思ったんですね。
いろいろ持ち込んで、ブロスさんが(私を)使ってくれました。そして前作に続き、再びブロスで紹介記事が書けた。心、ジーン。こんな嬉しいことは、滅多にありません。
1/2ページの記事ですが、もしブロスを手に取ったら、ちょっと見てみてください。
映画は今週の土曜日から公開。
オペラ座バレエ学校と一日一句
NHKで放映された「オペラ座バレエ学校の子供たち」後編を観る。
(多分すぐリンク切れるでしょうが、一応→こちら)
シビアなレッスンと進級試験とともに、卒業までには普通の大学入学資格も獲得、体重と体調管理のための栄養学の授業もあるのが…凄いなあ。
国立学校である。国をあげてダンサーの育成を行い、「オペラ座バレエに必要な」人材を育てる。どんなに優秀でもオペラ座バレエの色にそぐわなければ、落とされる。けれど、落とされた人もその後の進路についての相談斡旋もきちんとあるようだし、何より生徒の「ここの卒業証書があれば、どんなバレエ団にでも入れる可能性は高い」というコメントも印象的。
坂東玉三郎さん、そして、国立劇場でずっと歌舞伎俳優の養成にあたられた中村又五郎さん(先代)も、少年期からの若手俳優育成を切望していた。
勿論、「門閥」という形態をとっている歌舞伎、さらには松竹の興行である歌舞伎とバレエを同一線上に語ることは不可能だけど、歌舞伎ってのは偶然に期待している芸能なんだなあと、この番組を観て再確認。
オペラ座バレエ学校の栄養学の授業、これが面白そうだった。
日本ならアカデミックに板書で「何が何kcal、何にリコピンが多く含有…」なんてやりそうなところを、様々なフード模型を使っての授業。「エネルギーに代わるのはどれ?」子供がパッと模型を取って、効率的な組み合わせを考えたり。
バレエ、久しぶりに観たいなあ…と、こんな清々しい子供たちの姿を見た一方で、ボリショイの生臭いニュースも。ボリショイバレエ団って今のレベルはどうなんだろう。
○一日一句
3/23
桜かげ 日傘忘れし をんなあり
3/24
春の夜の 宴の準備 師は傘寿
・師の傘寿の祝いを弟子一同で。銀座の「KAZAN」にて。天気が崩れるかもという予報だったが、なんとかもってくれて感謝。
3/25
音もせぬ雨がつつみし春の朝
みつけたり永田町にもつくしの子
・この日は山梨県の東京事務所の方にインタビュー。永田町の都道府県会館へ。赤坂プリンスが驚くべき小ささになっていて思わず写真を撮る。桜も驚いている…いや、もっと凄いものを観てきているのかもしれない。
3/26
季が動く桜散りそめつつじ咲く
・新宿小田急でやっていた四国展に。ちょうど愛媛から高知の食取材中。この日が最終日だった。晴れ間が嬉しく、家まで歩いて帰る。その道すがらに白いつつじが一輪咲いていた。